ZIPPOの歴史

おなじみジッポーライターの産みの親ブレイズデルは、1930年代まではアメリカ・ペンシルバニア州で兄と一緒に石油会社を経営していましたが、経営は思わしくなく新事業に乗り出そうとしていました。

当時は、ライターが出回り始めたばかりで、性能のよいライターはほとんどありませんでした。
ここに目をつけたのがブレイズデルで、知り合いの持っていたオーストリア製のライターのボディにクロームメッキを施して売り出しました。

このライターは当時の不況のあおりもあって、売り上げ的には失敗に終わりましたが、めげずにこれに改良を加え、キャップを片手で操作できるように改め、ミリ単位でテストした耐風ガードをつけ、デザインもスタイリッシュなものにしました。
さらに画期的な「永久保証」という制度をつけることにより、この新しいライターは1930年代の終わりには約30万個を売り上げる大ヒット商品に。
作り手の情熱がユーザーの心をとらえたといえるでしょう。

ちなみにジッポーという名前は、同じペンシルバニア州で誕生した「ジッパー」の音の響きが気に入ってつけられたというのが有力な説となっています。

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