タバコ迫害の歴史
タバコの文化は16世紀中には世界中に広まっていきましたが、それとともにさまざまな迫害も受けてきました。
国レベルの弾圧で最も古いものはイギリス王ジェームズ1世によるものです。
タバコがイギリスに入ってきたのは、エリザベス1世の時代のことでしたが、その後ジェームズ1世がイギリス王に即位すると、タバコは野蛮人から伝わった悪臭とみなし、タバコ税を40倍にまで引き上げました。
同じようにフランスでは、ルイ14世の即位とともにタバコは完全に禁じられました。
また、トルコも早い時期から、タバコはキリスト教がもたらした悪魔で、ムスリムのコーランの教えに反するとして厳しい弾圧を行いました。
このように主に「専制君主」によるタバコ弾圧は激しいものでしたが、宗教界としてもまたタバコ問題は旋風を起こすこととなりました。
もともと禁欲を重んじる宗教界は、はじめからタバコに嫌悪感を抱いていたと考えられます。
カトリックのトップであったウルバヌス8世は1642年にタバコを禁止する競書を発布しました。
その後1725年に、ベネディクトゥス13世が教書を廃止するまで、タバコへの迫害は続きました。
タバコ迫害の歴史~日本では
一方、日本に目を向けると、渡来した最初のうちは薬草として効用を見出し、その後嗜好品として用いられていましたが、いわゆる「かぶき者」と言われる不良集団を生むなど問題も多く、風紀を取り締まるために1609年に初の禁煙令が出されました。
中でも、とりわけ厳しかったのが薩摩藩でした。
薩摩藩は日本で最も外交の盛んな藩として知られており、タバコが普及するのも早く、そのためタバコが広まることへの弊害を恐れたと言われています。
違反者には死刑を科す場合もありました。
その後、1612年には喫煙だけでなく、タバコの売買、流通、栽培を禁止する厳しい令が出ることとなり、幕府は植えられていたタバコの株をすべて抜き取るように命じ、密売者に対しては抜き打ちで取り締まりを行いました。
しかし、このような幾多の禁煙令の後も、タバコの広がりはとどまることはありませんでした。
その結果、タバコは女性の間でも流行するようになり、寛永年間においては一つの産業として発達するまでになったのでした。