日本のタバコ王
世界のタバコ王デュークがシガレット製造を始めてから3年後の1884年に、日本でもタバコ王が動き出しました。鹿児島生まれの岩谷松平という男です。
彼は銀座で天狗煙草というブランドを売り出し、大成功を収めました。
その頃、京都ではもう一人のタバコ王村井吉兵衛が活躍していました。
村井はアメリカで流行っていた両切りタバコを販売し、ブランド名も「サンライス」と横文字、カードをおまけにつけるなど、デュークの手法を真似たもので人気を博しました。
その後、東京に進出した村井は、岩谷と出会い熾烈な戦いを繰り広げます。
「純国産」岩谷対「アメリカ産」村井の戦いは、最終的には村井が勝利を収めることとなります。
その理由はタバコの製造スピードでした。
村井はアメリカと同じように機械を使ってタバコを作っていたことにより、彼のタバコが市場を埋め尽くすことになったのです。
その後、村井はついにデュークと手を結び、明治32年に共同で「株式会社 村井兄弟商会」を設立します。
しかし、デュークの本当の狙いは日本市場を独占することで、着実に足場を広げたデュークは、その後、日本のタバコ市場をも制圧してしまうこととなります。
日本のタバコ王は、世界のタバコ王の剛腕の前に敗れ去ったのでした。